NHKエデュケーショナルのお仕事、紹介します。

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笹山さんは現在、どんなお仕事を担当されていますか?

こども幼児部で、番組『ピタゴラスイッチ』、『ピタゴラスイッチ ミニ』のチーフ・プロデューサーを務めています。また、海外展開事業も担当していて、世界各国の番組制作者たちと番組制作能力向上を目的に番組素材交換を行ったり、映像祭などでゲストスピーカーとして講演を行ったりしています。2018年は2か月おきに海外出張があり、6か国を訪れました。また、ピタゴラスイッチの特番『ビーだま・ビーすけの大冒険スペシャル! ~黒玉軍に気をつけろ~』が、欧米、アジアの国際コンクールやフイルムフェスティバルなどで、6つの賞を受賞して、その授賞式に行かせていただくこともありました。「子ども番組のオスカー」とも称される「プリ・ジュネス2018」での授賞式は特に圧巻でした。

『ピタゴラスイッチ』は大変人気のある番組ですね。どのように制作しているのですか?

NHKエデュケーショナルでは、子どもたちの関心を引きつけ、遊びを広げ、学びにつながる番組を、対象年齢別に多数制作していますが、『ピタゴラスイッチ』は“考え方を育てる”ことをねらいにしています。わたしたちの身の周りには、不思議な構造や法則、おもしろい“考え方”が隠れています。『ピタゴラスイッチ』は、そういった世の中にあるさまざまな“考え方”を紹介する人形劇「今日のトピック」や「アルゴリズムたいそう」などのコーナーや歌、それらをつなぐ「ピタゴラ装置」などで構成されています。
ディレクターたちは、街を歩いているときも、不思議な物事やおもしろい構造が何かないかと、ついそんな目線でキョロキョロ観察してしまいます。周囲から見たら怪しい人物に見えるかもしれませんね。新しいトピックを探し出すのはなかなか大変です。
また、人気の「ピタゴラ装置」は、NHKのスタジオを数日借りきる(「装置合宿」と呼んでいます)形で制作・収録しています。照明を四方八方から当てるので、ゴムを張ったトランポリンが伸びたり、スタジオの温度がちょっとでも変わるとビー玉の速度が落ちたりして、さっきまで鉄壁だったものが急に調子が悪くなることも…。それを立て直しながら、OKテイクが出るまで、何十回も粘ります。撮影が150テイク近くになったときは、正直、音をあげそうになりましたが、最後に成功したときは、喜びよりも、安ど感でその場で脱力したのを覚えています。

笹山さんは入社してからこれまで、どんな番組を制作されてきましたか?

最初は生活文化部という部署で『きょうの料理』のディレクターを担当しました。しばらくしてから、『土曜元気市』という45分の料理と健康をテーマにした生放送番組を任されるなど、新人にはかなり恐れ多い経験もさせてもらいました。また、当時の先輩たちからは、「与えられる仕事だけでなく、自分で新しい企画を探してどんどん提案せよ。席に座っている時間があれば足で稼いでこい」と切磋琢磨を受けまして(笑)。それでちょっとでも時間を見つけては興味のある現場におじゃまして、提案をたくさん書くようにしました。
そのほとんどは箸にも棒にもかからないレベルで“ボツ”ばかりでしたが(苦笑)、入社3年目にして、1つの提案が初めて採択されました。憧れの番組『課外授業 ようこそ先輩』の提案でした。先輩役はセイン・カミュさんで、テーマは「外国人と友達になろう」。ところが企画が通ったのはよいものの、ロケもどうしたらよいのかわからない。ましてや日米の子ども100人近くの授業を5台のカメラで撮影することになり、卒倒しそうでした。でも、周りの皆さんに支えられ、なんとか放送にこぎ着け、視聴率も番組歴代トップの数字が出ました。
その後も『課外授業 ようこそ先輩』を度々制作しながら、教養番組部で俳句・短歌、美術、自然、ドキュメンタリー番組などを担当、語学部では英語や中国語番組を制作しました。その後、こども幼児部で『みいつけた!』を6年間担当し、現在に至ります。
さまざまな番組に携わらせてもらう中で、数えきれない人たちと出会った経験が、今の自分の支えになっていることを改めて思います。本当に感謝しかないです。

特に印象に残っている番組を教えてください。

2004年に制作したドキュメンタリー『敬老の日特集 三十一音 いのちの歌』という60分の番組です。当時担当していた短歌番組の選者から「介護する人と介護される人が詠む短歌の大会がある」と聞いたことをきっかけに、取材を始めることになりました。介護する人の短歌は想像できたのですが、「介護が必要な高齢者の方が!?どういうこと?」と関心を持ち、長期間、特別養護老人ホームや介護老人保健施設などで取材を続けました。そこには寝たきりの人や、車椅子での生活を余儀なくされている人たちが暮らしていて、排泄や入浴はおろか、立ち上がることすら一人ではままならない人が数多くいました。自分の名前や、直前の行為を忘れてしまったり、夜中に徘徊したり、時には暴言を吐きながら介助に抵抗する人も。また入所者の家族が施設を訪ねてくるのは、盆と正月だけ。だんだんいたたまれなくなり、正直、こんなに厳しい現実を見なければよかったとも思いました。ところが、そんな高齢者の方たちが、歌をつくり始めると能面のような顔がほころんだり、かくしゃくとした顔から涙がこぼれたり、想像もつかない表情があふれてきて…。ふだん、口にすることのない思い、それぞれの人生の哀歓を、31文字にして、まっすぐにうたわれるんです。その歌はどれもかけがえがなく、忘れることができません。歌が紡ぐたくさんの人生の物語から多くのことを教えていただいた番組の1つです。

番組の反響が大きく、放送後『NHK短歌』(NHK出版)で、さらなる取材を加え、1年間、新たに取材記を書き下ろした。「一日中言葉なき身の淋しさよ君知り給え我も人の子」高橋チヨさん(当時104歳)の歌。施設の職員がゴミ箱からチヨさんのメモをたまたま発見した。

番組制作で心がけていることはありますか?

日々、制作に没頭していると作業に追われ、何のための番組づくりなのかという大切なことを忘れてしまいがちです。そんなときは、もともとの原点、初心に立ち返るようにしています。また最近は、海外で出会った制作者たちのことを時々思い出すようにしています。海外の皆さんとは言葉や文化も違えば、思想、哲学、宗教なども国によってかなり違い、番組スタイルもテーマの扱い方もさまざまですが、番組づくりへの思いにおいては共通していますし、構想力や創造力もすごくて、とても励みになっています。

ドイツで開催されたEBU(ヨーロッパ放送連合)に参加。毎年、タイやマレーシアで開かれるABU(アジア太平洋放送連合)では、副議長を務める
フィリピンで開かれたASEAN10か国による映像祭。その講演で『ビーだま・ビーすけの大冒険スペシャル!』を上映したときの様子

大学生に向けてメッセージをお願いします。

「ムダなことは1つもない」――。これは私の好きな言葉でもあり、そう実感してきたことでもあります。意味がないことはしたくない。時間をかけてやることなんて大変だ。効率よい方がいい。損するより得したい…。私もついそんな気持ちに陥りがちです。就職活動に限らず、そんな気持ちが動くとき、この言葉を思い出すと、ちょっと頑張れる自分がいました。たとえ結果が出なかったものでも、今、思うとムダなことなんて1つもないと実感することはたくさんありました。これまでの仕事でもいろいろ失敗することばかりでしたが、失敗を積み重ねたからこそ1つの番組をつくりあげることができるようになりました。続けることによって、どんなこともムダではなくなります。1つのムダはムダで終わってしまうこともありますが、ムダが重なれば、それは成果・結果につながります。誰かが喜んでくれること、自分がやってみようと思ったことなら、 そのムダな時間は必要だった時間に変わります。ぜひ、皆さんもムダなことにもチャレンジしてみませんか?

笹山 ささやま チーフ・プロデューサー
1998年入社
こども幼児部

趣味:ヨガ、温泉巡り、おいしいものを食べること・つくること
睡眠時間:7時間(目標)
得意なスポーツ:スキー(学生の頃、志賀高原でインストラクターをしていました)
中学校、高校時代の部活動:中学校はテニス部、高校はスキー部(小学生からアルペンスキー競技に出場)